植田真梨恵が「痛快ウキウキ通り」という小沢健二の歌をカバーしている。YouTubeで「ラズワルドクリスマス」と検索したら出ると思う。全部で一時間半くらいあるのの30分目くらいじゃなかったか。

この2019年の「ラズワルドクリスマス」はただでさえいい。何より「痛快ウキウキ通り」がいい。私は小沢健二は名前くらいしか知らなかった、こんなぼんやりした顔の人だと思わなかった、「カローラ2に乗って〜」がこの人が歌っていたと知ったのがあるきっかけがあって2015年くらいだったと思う。しかし「痛快ウキウキ通り」は名曲だ、植田真梨恵版もいいしオリジナルもいい、全体にすごくポジティブで、しかもかわいい。

〈喜びを他の誰かと分かり合う〉

というサビのフレーズが印象的で、〈長い長いアラビアンナイト〉と入るサビのブリッジ的なのもいい。あとこの小沢健二のPVを見ていると赤いセーターが似合ってる、自分も着たくなる。歌にファッションがあるってこういうことなのかと思う。

喜びを他の誰かと分かち合う、ではなく、分かり合う、なのだ。最初は分かち合うと聞いていて、それでもよかった、分かり合う、と知ってから一瞬違和感があって少しして一つ感慨がまた深まった。

これはその言葉の言いようによって意味がどうこうというより、「ち」と「り」の音の優しさの問題だと思う。これは聴者だけの感覚かもしれない。が、げんに私は聴者で、この「ち」と「り」の音の違いに一触されている。でもそれが何なのかはうまく言えないが、谷川俊太郎とかに聞いてみたい。これってなんなのだと思います?

あなたの手のぬくみ

命ということ

これは谷川俊太郎の「生きる」で、初読だと大体「ぬくみ」じゃなくて「ぬくもり」といってほしいようなリズムでこの詩は読むんじゃないか。しかし「ぬくみ」はそのうちこの詩のハッと止まるところになる、繰り返し読みたい部分とか理由になる。

植田真梨恵は最近「Stranger」というシングルを出していて、これが「automatic」の頃の宇多田の雰囲気。保坂和志がこんな小娘の曲に感動したとある小説で間接的に言っていて、そんな小娘時代の宇多田の感じをいま30近い植田真梨恵が歌っている。しかしそれが私にはいい。真梨恵がんばれ!

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