確か柄谷行人が、一昔前の女子高生は、「みんなが欲しがるものを欲しがっているフリをしている」と言っていた。

 

私自身服を買うときなんかにこれと似たことを思う。自意識と切れているのは釣り具で、間違いない一番いいものが欲しい。

 

性加害報道がうるさい。週刊誌の報道だけなら一過性の話題だが、ネットのメディアが増幅させていて、鬱陶しい。性加害も性被害もメディアが作った言葉で、「心療内科」に似ていて本当のことを和らげている。正確には性犯罪と性犯罪の被害者だ。優しく見せた言葉だから拡がりやすい。馬鹿が騒ぐ。

 

関心があるフリをしているフリをしている、というわけだ。人間は本来自分が直面した事態に感情の力だけで対処する。知的な処理もその前に感情の力があるべきで心に嘘をついてはいけない。

私はよく「心の中にせいじを持て」と思っている。「せいじ」とは千原せいじのことで、千原せいじは全身真っ赤の服を着て奈良公園で近寄ってきた鹿を「退け!」と怒鳴って散らしたり、道の駅の「名物トマトジュース」を、「600円!? こんなん買うやつほんまにおるん?」と言って、苦笑する店員を「絶対にリピーターはおらんやろ」と追い込む。そのあとベンチに座って一口飲むと、良い間をあけて、「これは600円やわ」と認め、「1200円言うたら、1200円やもん」と最上級であると手ぶりを加えながら旨さを語る。

 

関心があるフリをする必要はない。まともに人に向き合って、こんなもんクソや、関心がない、と言っていい。心の中にせいじを持って、ただ感情の力だけを使って、あつかましく生きたい。

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